『手話の世界へ』という本を読みました。(長いので3つに分けます)
オリバー・サックスは映画『レナードの朝』の原作者で知られる神経学者で、その経験を活かしたノンフィクション作品がいくつもベストセラーになっています。
『手話の世界へ』は、ろう者の歴史をはじめ、科学的に見て『手話』が言語であるかなど様々な視点から手話について語られています。
私が以前に読んだ『みんなが手話で話した島』や『グラハム・ベル』のことも本書には登場して、とても興味深く読めました。
ろう者を取り巻く歴史では、主に欧米の話が中心となりますが、1750年以前は、まともな教育は受けられず、仕事も最低レベルの物を押し付けられるといった状況でした。
1755年にド・レペ神父により、公的支援をうけた初めての『ろう学校』が設立され、そのための教育者も数多く育成し1789年には21校まで増えました。
ヨーロッパでは、ろう者の環境は随分と変わりはじめたものの、アメリカでは、ろう者の教育は以前と変わらないままでした。
1817年にヨーロッパでろう教育を学んだ教師がアメリカに初めてのろう学校『アメリカ聾唖院』を設立します。
と、ろう者教育は順調に広まっていくように見えましたが、
1870年頃から、ろう教育を二分する考え方が生まれます。
それが『口話主義』です。それ以前も口話を読み取るということは行われていましたが、あくまで中心は『手話』による教育でした。
口話主義者は、『手話』はろう者の間でしか使えず一般社会でのコミュニケーションを阻害するものだとして、口話を推進し、手話の使用そのものを禁止しようとしたのでした。
これについて著者は『口話』は、難聴者や中途失聴者には効果があるかもしれないが、言語習得前失聴者には、その習得自体に途方もない時間がかかり、一般教育のための時間が不足してしまうと批判しています。事実、この頃からろう者の識字率は低下し、手話派と口話派の学校では、手話派の学校のほうが教育水準が高い事があきらかになりました。
それでも、当時は口話派の勢力が大きくなり、グラハム・ベルもその第一人者で大きな影響を与えました。これに対して全米ろう者協会の会長などはベルを『最大の極悪人』と呼ぶほどでした。
一度、口話派の勢力が力を持つと、やがてそれが当たり前になり、この状況を変えようと働きかける人はいなくなりました。当事者のろう者も自分達の教育に言及することはなく、あくまで健常者によって教育方針を決められる立場だったのです。
このような状況に疑問が投じられるのは、1960年代から1970年初頭にかけてです。
この本が出版されたのは1996ですから当時は少し前の話といった感覚でしょうか。
今現在の欧米のろう教育がどういったものかは、わかりませんが出版当時は、まだまだろう教育に対して色々な議論がなされている段階だったと思います。
本書では『口話』教育についてかなり批判的に書いてあります。反対意見がありながらも世の中が口話教育のながれに進んでいってしまったのは、やはり当事者の声が生かされなかったのが一番の原因だと感じました。
と…後から言うのは簡単ですが、当時の流れを覆すのはとても難しいことだったのでしょう。
私もベルの伝記を読んだ後でしたので口話派のベルが極悪人とまで呼ばれていたのはショックでした。